ローマ教皇庁大使館 ローマ教皇大使 エムブローズ・デ・パオリ大司教閣下 ごあいさつ


2004年8月5日  広島 世界平和記念聖堂献堂50周年記念ミサ聖祭



 今晩、わたしたちは平和のために捧げられたこの聖堂に集められています。この聖堂を産み出したラッサール神父さまの洞察力を感謝をもって思い起こし、今晩の献堂50周年をお祝いします。


 原爆と戦争の犠牲となった生きている人、亡くなった人を慰めるため、また今後二度と戦争があってはならないという祈りのための聖なる場を備える何か目に見えるものを建てるよう霊感がラッサール神父さまに与えられたのは、広島の原子爆弾による「地獄」の真只中でした。その任務は慰めることと勇気づけることであって、今なお変わりません。


 聖堂の目的であり、その歴史が二つの道を指し示しています。この聖堂は、1981年広島を訪れた教皇ヨハネ・パウロ二世聖下のことばにあるように、両方の道を見ることをわたしたちに求めています。即ち「過去を振り返ることは将来に対する責任を担うことです。」


 この聖堂は、この町にとって特に悲劇的な過去の死と破壊の灰の中から立ち上がった、その過去を思い起こさせます。
 しかし、この聖堂は将来の一部分より、争いが歴史にもっと多くなるだろう将来に対して責任を担うようわたしたちに挑戦する将来を指し示しています。


 この聖堂は祈ることを呼び起こし、祈りのための場と雰囲気を提供しています。それはわたしたちの内から流れ出るべきものである祈りに役立っています。即ち、わたしたちの心から話しかけようとする祈りを求めています。それはまず、わたしたち自身のうちに、特に他の人たちやわたしたちの指導者のうちに平和の精神と望みを形づくる命と平和の神に嘆願する祈りを呼び起こします。そして、平和への願望が広島を訪問した時の教皇ヨハネ・パウロ二世聖下の言葉を再び引用すると「戦争は不可避なものでも必然的でもない」という現実にその根を持っているものでありますように。しかしながらそのような任務がわたしたち人類に帰属しています。


 平和のための過去・現在・未来を包みこんでいるこの聖堂は、ここに来て黙想するようすべての人を招いています。わたしたちはラッサール神父さまと広島でこの平和の賜物のうちに彼とひとつとなった人々すべてに感謝します。


 1945年8月6日の年毎の記念は、区別なくすべての人への、この聖堂のメッセージを強調する好機です。これらの記念が継続され、変化する時代に常に語りかけますように。それらは単なる儀式となり、伝統以上の何ものでもないという危険が常にあります。本来、これが記念のメッセージを準備したものと、それが向けられた人々との間で分かち合い、聞く精神において出会うべき挑戦です。
 この任務はイエズスが山上の説教で「平和を作る人は幸い」とたたえた、本来、平和のための働きの一部であります。